社員のつぶやき
社員のつぶやき
カーレース
今回は自動車レースの話です。
皆さんはインディカーレースを知っていますか?
北米最高峰の自動車レースで元F1ドライバーの佐藤琢磨が参戦しているレースです。
先日、カルフォルニアのロングビーチで第三戦が行われて見事日本人ドライバー初優勝を果たしました。
F1時代は良い成績をあげられず、
チームも資金不足で撤退してドライバーシートがなくなり新たに選んだのがインディカーレースだそうです。
インディカーは全チームの車体とエンジンがいっしょなので性能の大差が無い為、
個人のテクニックとチームの総合力が必要になります。
今回、優勝出来たことでシリーズチャンピオンも夢ではないかも知れません。
日本でももてきサーキット終盤行われますが、チャンピオン争いに残っていればいいですね。
---接し方---
『顔の表情』・・・6割
『話の内容』・・・1割
花冷え
皆さんは、今年は花見をしましたか
日曜日に予定をした方々は最悪な花見になったのでは
寒さと、雨の日曜日が続き、その中で私は3月24日に
決行、朝からさ花冷えの中、10時ごろ皆で集まりました。
勿論場所は、我らがホームグランドが在る。
篠崎公園ですが、寒さのせいか何時もの半数以下の人々でした、その中では我がグループは大人20人子供5人
となかなかの賑いであり、しかし此の賑いが寒さを吹き飛ばし、酒の
メータが知らず知らずに頂点に達してしまい、気がついたら、家で目が覚め翌日、電話で皆に確認の有様です。
ふらふらと. あたまのきおく.おきわすれ
長さん便り
木挽町
先日の7日に歌舞伎座のこけら落としに夫婦二人で行って来ました。しかし今日はその話ではなく通称、東銀座と呼ばれる歌舞伎座周辺。かつて、この一帯が呼ばれていた町名『木挽町』の話をちょいとしてみます。
その町の名は江戸城修築の時に鋸商(木挽き職人)を住まわせた事に由来する、いわば職人の町だった。木挽きとは伐採された原木を見定め大鋸(おが)で木を引く事。鋸(のこぎり)の引き方次第で、木目の出方や品質も価値も大きく変わってしまう為、高度な技術が要求される職人仕事だったという。
木挽町の場所とは右の地図を見て頂ければ分かるように、北は昭和通りを京橋と銀座の境を横切る首都高の下から、南は汐留の手前のやはり首都高の下の蓬菜橋の交差点までで、東はこれまた首都高が走る旧築地川から、西は現在三原橋の交番があり、かつて三原橋が掛っていた三十間堀川までの細長い町だった。
昔は町のすぐ近くまで江戸湾が迫っていたのだろう。中央区の区史には『江戸時代、三十件堀川の一帯は汐の香高く、岸辺に寄せる波の音を聞いた』とあるそうだ。
明治22年(1889年)に出来て以来120年以上続く歌舞伎座。それ以前は、江島.生島事件(1714年)を引き起こした『山村座』や『森田座』等が芝居小屋を開いていて、『木挽町へ行く』と言えば、歌舞伎見物に行く事を意味するほど町と溶け込んでいた。
歌舞伎座がシンボルだった木挽町だが、一方で戦前は7〜8丁目付近を中心に料亭街が広がり、新橋花街の芸者さん達の生活の場でもあったようだ。
江戸中期、能楽の金春座(こんぱるざ)の屋敷舞台が銀座にあり、そこで長唄や常磐津、舞などを身に付けながら下働きをしていた女性たちが、後に金春芸者、そして新橋芸者になっていった。
銀座は芸者発祥の地でもある。
新橋芸者の芸を発表する為に作ったのがもう一つのシンボルである大正14年開場の『新橋演舞場』である。
木挽町は、徳川幕府が開かれた慶長年間から約350年も続いたという歴史ある町。ところが終戦後、町を揺るがす大問題が起きる。瓦礫処理に困り、捨て場所となった三十三間堀川が埋め立てられ、銀座の町と地続きになった為、色々と住民の間でもあったらしいが結局、昭和26年(1951年)この一帯の町名が味もそっけもない『銀座東』と変わり、さらに昭和44年(1969年)分かりやすさのみが重視され歴史的な地名が消滅した天下の悪法、住居表示改正で銀座そのものになってしまい『木挽町』という粋な名前は消滅してしまう。
旧い町名、街並みがどんどん消えていく昨今だが、歌舞伎座がリニューアルオープンし新たな街のシンボルを得て、旧木挽町エリアがどんな街に変わっていくのか楽しみに見続けていたい。
森 上 (克)
携帯、スマホ中毒?
電車を待ってホームにいたら、2歳ぐらいの親子連れがホームに来た。
母親は片手に乳母車をもう一方には携帯電話を持っていた。
子供は乳母車の側を歩いていたが、ホームの黄色い線を行ったり来たりしている。
危ないなあと思っていたら一応母親は注意をした。
しかし、携帯をずっと見たままである。
しばらくして子供の方から、ママしまって、しまってと携帯を止めてといっているようだった。
それでも止めないので、子供はママ抱っこ、抱っこしたいとホームにすわり泣き出した。
母親はしかたがないなあとおもむろに抱っこしたが、子供の顔は母親の背中の方に向いているので、
携帯はそのまま見ていた。
子供にしまってと言われても止められない携帯とはなんだろう?
またある日は、歩道でスマホに夢中の父親
子供は乳母車の側を歩いていた、それも車道側を
子供がちょっとでも車道に転んだら大事故になりかねない。
子供とスマホどちらが大事?そう言いたい!!
自転車に乗りながらのスマホ、もちろん歩きながらも多い。
この現象は中毒ではないでしょうか?
事故になってからでは遅いので良識ある使い方をしてほしいものである。
千葉支店 佐藤