社員のつぶやき
社員のつぶやき
Too Much !!
2011-09-13
どもです、最近休みという休みに予定を入れ過ぎて夏の終わりのセミの様にグッタリしている本社営業・秦野で御座居ます。ナントカ、気力だけで乗り切っております♪
そんな予定の中でも人数絡むのがBBQ、ナンヂャカンヂャG.W.にやった初回から先日の江戸川河川敷まで通産5回、場所も伊豆・福島とイロイロと♪・・・明らかにやり過ぎです、アレって昼間っから御酒入れて、日没まで・・・ってか日が暮れても河岸変えて呑んでたりしますから、体力使うんですよね。・・・メッチャ楽しいんですケド♪
・・・コノ後も、呑み屋仲間から"七輪☆秋刀魚パーティー"(って、秋版BBQよね!?)やれって指示があったんで懲りもせずやってきます。なるべく落ち着いたノリが良いなぁ♪
そんな予定の中でも人数絡むのがBBQ、ナンヂャカンヂャG.W.にやった初回から先日の江戸川河川敷まで通産5回、場所も伊豆・福島とイロイロと♪・・・明らかにやり過ぎです、アレって昼間っから御酒入れて、日没まで・・・ってか日が暮れても河岸変えて呑んでたりしますから、体力使うんですよね。・・・メッチャ楽しいんですケド♪
・・・コノ後も、呑み屋仲間から"七輪☆秋刀魚パーティー"(って、秋版BBQよね!?)やれって指示があったんで懲りもせずやってきます。なるべく落ち着いたノリが良いなぁ♪
ここで一句。。
2011-09-08
『ふんばった つま先立ちの なみプール』
残暑いまだ厳しい中みなさんいかがお過ごしですか?
本社営業、草ゴルファー見習い、吉野です。
冒頭の俳句(!?)は、わが息子が俳句の宿題で考えた句です。
先週日曜日に今年最後のプールに行ってきました。千葉は九十九里にある大きいプールで、そこには造波プールがあります。なかなか大きい波が来ますので小学3年の息子の身長では大変だった様子が隣で見ていた私にはよく伝わり、こんな句が詠めるようになったのかと目頭が熱くなる思いです。
そこで私も詠みました。。今年は川遊びに行きましたので、そのときの一句。
『滝すべり 調子に乗って 尻きれる』
20数年ぶりの川遊びに、子供そっちのけで遊んで水着を切ってしまった草ゴルファー見習いの姿が目に浮かびます。そしてその後、嫁に怒られている姿も容易に想像できます。
いい句ですね☆
いい句ですね☆
写真は水着を買う原因となった養老渓谷の粟又の滝と愚息です。この日は水量が少なかった・・
厳しい暑さでも楽しかった夏が、秋の物寂しい空気に包まれつつあります。季節の変わり目、夏で疲れた体が悲鳴をあげるときでもあります。風邪などひかぬよう体調管理に気を配りがんばっていきましょう!
残り2試合の攻防
2011-09-05
毎度お馴染のおじんこクラブです。、
ソフトのリーグ戦の試合もいよいよ最終を迎えつつあり、
最後の山場を向かえています。
最後の山場を向かえています。
9月11日9時より篠崎公園で6勝?敗の小岩イーグルスと戦います,
我がおじんこは此のリーグでは2度優勝をしている名門ですが、
イーグルスは初優勝を秘かにねらているのが最近見え見えで、
さっれど我がおじんこも5勝1敗1分けと久しぶりの優勝を目指し
少年の如く心を高ぶらせ8月の暑い中も毎週練習を重ねています。
我がおじんこは此のリーグでは2度優勝をしている名門ですが、
イーグルスは初優勝を秘かにねらているのが最近見え見えで、
さっれど我がおじんこも5勝1敗1分けと久しぶりの優勝を目指し
少年の如く心を高ぶらせ8月の暑い中も毎週練習を重ねています。
残り2試合最後の鍔迫り合いを制し美酒に酔いたく邁進している、
此の頃で有ります。9月11日応援に来てね。
..................................長さん便り
此の頃で有ります。9月11日応援に来てね。
..................................長さん便り
世紀の大発見?
2011-08-31
今回は、お酒の話ではなく少し真面目な話をします。
皆さん写真の中央の人誰だと思いますか。なんと西郷隆盛。
写真が一枚も残っておらず上野の銅像も弟の西郷従道の風貌を参考にしたと言われている、そうあの人です。
銅像の公開の際に招かれた夫人の糸子さんは『うちの主人は、こんなお人じゃなかったですよ』と呟いたとの記録が残っているくらいあまり本人に似ていないらしいが、この写真を見ると正にその通りで特徴の一つの大きな目では無いような気がする。
右隣には弟の従道、左隣には大久保利通、小松帯刀などと一緒に中央で写っているので本物?と思ってしまう。
他に坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎、大隈重信、伊藤博文など幕末のそうそうたるメンバーが写っている。
もう一つの不思議なことは一番左に写っている勝海舟である。勝は幕府側、何でこの時に薩、長、土佐を中心とする人々の写真の中にいるのか,この二つ事が初めてこの写真を見たときの驚きである。
後で調べてみると、勝は安政5年(1958年)3月に咸臨丸に乗って薩摩半島まで行った時、島津斉彬と会っており、それから6年半ほど後の元治元年(1864年)9月に西郷隆盛と初の会見をしている。
その時、幕府の軍艦奉行をしていた勝は『幕府にはもう天下の政治を取り仕切る力がないから有力な藩が協力して国政を動かさなければならない。』と話し西郷をひどく驚かせ、その時の事を大久保利通への手紙で『ひどくほれ申し候』とまで書いている。
それ以降、それまで長州と敵対していた薩摩は長州と手を組んで幕府への対抗する道を進むようになったと言う。その後、慶応3年(1867年)10月の大政奉還、翌4年(1868年)1月の鳥羽.伏見の戦い、そし4月の江戸無血開城と進んでゆく。
このような歴史的な事件を考えると、西郷との初会見の翌年、慶応元年(1865年)2月に写されているこの写真に勝海舟が写っているのもうなずけるかな。
この写真は長野県にある相撲の名大関、雷電為右衛門の展示館に展示されていたもので、皆さんも動乱の幕末に思いを馳せてみては如何ですか。
雷電展示館
長野県東御市滋野乙4524-1 Tel 0268-63-0963
皆さんも機会があれば、是非一度訪ねてみてください。
森上(克)
皆さん写真の中央の人誰だと思いますか。なんと西郷隆盛。
写真が一枚も残っておらず上野の銅像も弟の西郷従道の風貌を参考にしたと言われている、そうあの人です。
銅像の公開の際に招かれた夫人の糸子さんは『うちの主人は、こんなお人じゃなかったですよ』と呟いたとの記録が残っているくらいあまり本人に似ていないらしいが、この写真を見ると正にその通りで特徴の一つの大きな目では無いような気がする。
右隣には弟の従道、左隣には大久保利通、小松帯刀などと一緒に中央で写っているので本物?と思ってしまう。
他に坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎、大隈重信、伊藤博文など幕末のそうそうたるメンバーが写っている。
もう一つの不思議なことは一番左に写っている勝海舟である。勝は幕府側、何でこの時に薩、長、土佐を中心とする人々の写真の中にいるのか,この二つ事が初めてこの写真を見たときの驚きである。
後で調べてみると、勝は安政5年(1958年)3月に咸臨丸に乗って薩摩半島まで行った時、島津斉彬と会っており、それから6年半ほど後の元治元年(1864年)9月に西郷隆盛と初の会見をしている。
その時、幕府の軍艦奉行をしていた勝は『幕府にはもう天下の政治を取り仕切る力がないから有力な藩が協力して国政を動かさなければならない。』と話し西郷をひどく驚かせ、その時の事を大久保利通への手紙で『ひどくほれ申し候』とまで書いている。
それ以降、それまで長州と敵対していた薩摩は長州と手を組んで幕府への対抗する道を進むようになったと言う。その後、慶応3年(1867年)10月の大政奉還、翌4年(1868年)1月の鳥羽.伏見の戦い、そし4月の江戸無血開城と進んでゆく。
このような歴史的な事件を考えると、西郷との初会見の翌年、慶応元年(1865年)2月に写されているこの写真に勝海舟が写っているのもうなずけるかな。
この写真は長野県にある相撲の名大関、雷電為右衛門の展示館に展示されていたもので、皆さんも動乱の幕末に思いを馳せてみては如何ですか。
雷電展示館
長野県東御市滋野乙4524-1 Tel 0268-63-0963
皆さんも機会があれば、是非一度訪ねてみてください。
森上(克)
故郷
2011-08-26
私の故郷は宮城県伊具郡丸森町です。
弊社のブログを読んで頂いている方の中で同じ故郷の方はいらっしゃいますでしょうか?
夏休みは久しぶりにお墓参りに帰りました。
震災後はじめてでしたので故郷のことも心配で帰ってみました。
故郷は宮城県でも一番南、福島県との県境の町です。
津波の被害はありませんでしたが、今は放射能の事で大変みたいです。
母校の小学校の校庭の土も剥いだり、稲の放射能も調べていたりと、目には見えないものとの戦いを
強いられていました。
こちらにいますと津波の事も放射能の事も関係なく暮らしていますが、まだまだ苦しんでいる方が沢山
いる事を忘れないようにしたいものです。
私ができることと言えば、風評被害にあわれている野菜やくだものを1つでも買って食べることぐらいしか
思いつきませんが、これからも協力したいと思っています。
千葉支店 佐藤
弊社のブログを読んで頂いている方の中で同じ故郷の方はいらっしゃいますでしょうか?
夏休みは久しぶりにお墓参りに帰りました。
震災後はじめてでしたので故郷のことも心配で帰ってみました。
故郷は宮城県でも一番南、福島県との県境の町です。
津波の被害はありませんでしたが、今は放射能の事で大変みたいです。
母校の小学校の校庭の土も剥いだり、稲の放射能も調べていたりと、目には見えないものとの戦いを
強いられていました。
こちらにいますと津波の事も放射能の事も関係なく暮らしていますが、まだまだ苦しんでいる方が沢山
いる事を忘れないようにしたいものです。
私ができることと言えば、風評被害にあわれている野菜やくだものを1つでも買って食べることぐらいしか
思いつきませんが、これからも協力したいと思っています。
千葉支店 佐藤