社員のつぶやき
社員のつぶやき
ウイルス対策!
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「あっそうだ!うちはこれから出かけなくちゃいけなかったんだ〜。ごめんね、また今度ね〜。ほらバイバイして」(@^^)/~~~
自動車の性能
今回は自動車の性能の関する話をいたします。
現在、走っているすべての車が時速100?以上で走れる性能を持っています。
走っている道路ですが高速道でも制限速度100km以上の道は無いはずです。
なのに100km出てしまう性能にするのは何故でしょうか?
一般道でも高速道でも勾配のきつい坂道があります。
そこを100kmまでしか出ない馬力の自動車で登っても登りきれません。
急な坂道を登るには時速100km以上出る性能の自動車出なければ
登りきれないそうです。
東京での雪
「東京での雪」
まだまだ寒い日が続いておりますが、皆様風邪などひかずにお過ごしでしょうか・・・
つい先日も、「東京で雪が降り、積雪○○?が予想されます」なんて天気予報が流れてました。
結果、積もりませんでしたが・・・
実際、積もったら仕事にならなくなるので困ってしまうのですが、少しばかりワクワク感を持ってし
まうのは私だけでしょうか・・・
私が子供のころは、もっと積もった日があったような記憶があります。
こんなこと言ったら、雪国の人に怒られちゃいますね・・・
やはり世界的な温暖化の影響なのか、東京での積雪は年々減ってきている気がします。
以前テレビで見ましたが、「数十年後には、真冬に桜が満開になる」なんて言ってました。
風情がなくなりますね・・・
皆様、あと1ヶ月程でやってくる暖かなポカポカ陽気の春まで頑張りましょう!
戸 田
ラジオに聞き耳
毎回お騒がせしてます。
おじん子ソフトクラブの長さんです。懐かしく思う方々も
いらしゃるのではと思いご紹介します。
山に登れば〜水虫ふんだ〜蝶々が下駄はいてお山に飛んだ〜それ見て〜竹輪が笑ってた〜
アフンジャカ ベツチャンコ〜アフンジャカ ベチャンコ如何ですか?少しは頭の隅に聞き覚えのある方が、案外いらしゃるのではないですか?さてどなたの歌でしょうか考えてみて下さい。
その人の一番売れた曲ですよ。
有る番組で番組の途中に即興で作った曲でもちろん公開生放送との事です。人により受け止め方が違うと思いますが
このブッ飛んだ発想や思いつきがこの人の大きさなのかも知れないなと感心しました。私は面白い、笑える。
長さん便り
ハッとする,家並みの美しさ。
戦災や新しい国道の建設などで寸断され、昔からの建物も壊され、現代の物に建て替えられた。
西洋と違い何世紀も耐える事が出来ない木造建築物である事から、当然と言えば当然である。
にも拘らず残っている。
日本橋からのスタート以来、江戸とは言わないまでも、明治、大正、昭和と伝統的な建物が、西へ向かうにしたがって魅力的な姿を見せてくれる。
前回の有松の家並みもそうだが、今回の庄野宿、亀山宿、そして関宿で頂点に達した感がある。
当時は、大名行列を見下ろしてはならぬとの理由により、旅籠を除き二階建てが禁じられた為、平屋建てを装って考えられた中二階、屋根裏式の『つし二階建て』と言う構造なのだそうだ。
中には伝統的な材料を使い、わざわざ再現した家々があり、文化の継承を感じる。
関宿は、70%が戦前の建物であり、その内、江戸から明治の建物が200軒あまり残っているというから、これはすごい。
旧東海道1.8キロに渡って伝統的な家屋群が続くのである。
昭和59年、国の重要伝統的建造保存地区に指定され、電柱、電線が撤去された家並みは足を踏み入れた瞬間、江戸の昔にタイムスリップした不思議な感覚に陥ってしまう。
実際の保存活動が始まったのは昭和50年代だそうだが、なんと昭和4年から建物の保存の呼びかけが始まっており、今はまだ観光客はそう多くないが、充分に世界遺産の価値はありそうだ。
訪れる側からすると、今のままゆっくり観光が出来る方が有り難い。
関宿を出ると三重県から滋賀県に入り、最後の難関の鈴鹿峠である。
次の宿場は、鈴鹿峠で天気ががらりと変わる為に『坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る』と馬子唄にも歌われた土山宿。
近江土山茶で繁栄した為、関宿に比べ家々の間口が広く、今もお茶農家や問屋が多いそうだ。
京都からの旅人には初めての難所鈴鹿峠が待ち受けてる為、旅籠もかなり多かった様で本陣を過ぎかなり歩いても宿場の雰囲気が残っている。
鈴鹿峠を越えると、ベンガラで塗られた板塀や柱が現れ、一号線の標識に初めて京都の文字が出てきて京都が近くなった事を実感する。
後、歩いていると場所場所で同じ苗字の表札をよく見かけるが、今回は土山宿は土山さん、石部宿あたりは奥村さんが多く、大きな家はほとんどの確率で奥村さんでした。
昔、この辺りの豪族であったかも。
今回の旅は草津宿までです。
草津というと、温泉やらスキー場の草津と勘違いする人が多いそうですが、草津宿は本陣辺りが東海道と中山道との合流点、すなわち追分である。
本陣は二川宿と一緒で当時の堂々たる姿で残っている。
ここは流石に京都から来るとちょうど良い休憩する位置にある事から、大福帳には浅野匠頭と吉良上野介が9日違いで本陣を利用している等、歴史上の有名人が多く名を連ねていた。
最後に余談になるが、関東、関西の名の由来についてだが、関東、関西の関は関所という意味で、その一つが古くは東海道の鈴鹿関、そう関宿の事で関宿の西が関西、東が関東と呼ばれる所以であるそうだ。
右の写真は石部宿を過ぎた栗東市辺りの専光寺というお寺の写真である。
あまりにもきれいだったのでパチリ。
今回の旅は4日間で、134,923歩、距離にして約80キロでした。
今は少し寂しような複雑な気持ちだが、次はいよいよ終点、京、三条大橋までの6里の旅である。
次回をお楽しみに。
森 上 (克)