社員のつぶやき
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趣味のゴルフ
2015-12-08
こんにちは本社の村雲です。
私の趣味といえば全然上手くならないゴルフです。
以前テーラーメイドのゴルフクラブを使っていましたが
芯に当たった時の音が非常に良いヤマハのクラブに1年前から買い変えました。
さすがに楽器も良い物を出しているだけあってとても心地の良い音がします。
アイアンはゴルフを簡単にしたいのでキャビティアイアンを使用していますが
なかなかスコアはよくなりません。もっと練習をしないといけませんね。
今年のゴルフは全然ダメなゴルフの年でした。(練習場ではそこそこ上手く打てるのに)
コースと練習場は別物ですからね。
今年も20日そこそこで2015年を終わりですから2016年は
必ずベストスコア更新をしたいと思います。
私の趣味といえば全然上手くならないゴルフです。
以前テーラーメイドのゴルフクラブを使っていましたが
芯に当たった時の音が非常に良いヤマハのクラブに1年前から買い変えました。
さすがに楽器も良い物を出しているだけあってとても心地の良い音がします。
アイアンはゴルフを簡単にしたいのでキャビティアイアンを使用していますが
なかなかスコアはよくなりません。もっと練習をしないといけませんね。
今年のゴルフは全然ダメなゴルフの年でした。(練習場ではそこそこ上手く打てるのに)
コースと練習場は別物ですからね。
今年も20日そこそこで2015年を終わりですから2016年は
必ずベストスコア更新をしたいと思います。
河川敷アプローチゴルフ
2015-12-03
今晩は本社の小原です。
以前に話をした昼休みのアプローチゴルフですが以前のコースではなく
また別のコースでアホな3人で再開しています。
以前はカーワックスの缶をカップ代わりにしていましたが今はネコの缶詰を
カップ代わりに使用しています。
カップが小さいのでホールインワンは出ないと思いましたが私し
2日前とその前に2回ホールインワンを出してしまいました。
下がでこぼこで打ったボールが何処に行くかわからず,ましてカップが小さいので
運がないと出ないコースです。
いつまで出来るか分かりませんが当分続くといいですね。
以前に話をした昼休みのアプローチゴルフですが以前のコースではなく
また別のコースでアホな3人で再開しています。
以前はカーワックスの缶をカップ代わりにしていましたが今はネコの缶詰を
カップ代わりに使用しています。
カップが小さいのでホールインワンは出ないと思いましたが私し
2日前とその前に2回ホールインワンを出してしまいました。
下がでこぼこで打ったボールが何処に行くかわからず,ましてカップが小さいので
運がないと出ないコースです。
いつまで出来るか分かりませんが当分続くといいですね。
開放!
2015-11-30
今年もすでに11ヶ月が過ぎ去ろうとしています。とーっても早く感じます。
本社の吉野です。
そして今年最後の運試しが到来しています。誰でも億万長者の夢!年末ジャンボ宝くじです。
私はいつも当たらないので、ここ3年ほど買わずに運を貯めていました。もう少し待とうかと思いましたが、10億円と聞いたら。。。
ここらで運を開放しようかと思います。
どこで買うかはとても重要なポイントのようです。私は江戸川区担当なので、やはり噂の京葉道路交差点宝くじセンターにしようかと。
調べてみますと、ここは2006年から連続で必ず一等、もしくは一億円以上が出ています。
今年もすでに5万円以上のくじが170本も当選しています。
にも関わらずまだ一等、もしくは一億円以上は出ていないのです。ここです!ここできます!
みなさん、内緒ですよ。
私が、京葉道路交差点で並んでいても指ささないでください。
「ながら」
2015-11-26
皆様、寒さが増してきましたが、元気にお過ごしですか
先日、電車に乗っている時、ふと感じたことがあります
車内の何人もの人(特に学生さん)が、イヤフォンをしながらスマホを熱心に覗き込んでいます
まさしく「ながら」ですね・・・
今、この「ながら」が何かと世間で問題になっています
歩きながらのスマホ、歩きながらのタバコ、自転車に乗りながらの携帯電話での会話、などなど特にスマホと携帯電話にまつわる「よろしくない」事をよく目にします
私自身、これらの道徳的にまずいことはしない様に心がけています
と言いながら、昨日夜は「テレビをつけながらパソコン閲覧」してました
この様な、「ムダ」な「ながら」も、なくしていかなければと思う今日この頃です・・・
戸 田
先日、電車に乗っている時、ふと感じたことがあります
車内の何人もの人(特に学生さん)が、イヤフォンをしながらスマホを熱心に覗き込んでいます
まさしく「ながら」ですね・・・
今、この「ながら」が何かと世間で問題になっています
歩きながらのスマホ、歩きながらのタバコ、自転車に乗りながらの携帯電話での会話、などなど特にスマホと携帯電話にまつわる「よろしくない」事をよく目にします
私自身、これらの道徳的にまずいことはしない様に心がけています
と言いながら、昨日夜は「テレビをつけながらパソコン閲覧」してました
この様な、「ムダ」な「ながら」も、なくしていかなければと思う今日この頃です・・・
戸 田
五十三次の旅
2015-11-19
9月19日からの連休で旧東海道を歩いてきました。
今回は5月の続きで、菜めし田楽の『きく宗』を横目に34番目の宿場町、吉田宿からのスタートです。
吉田宿を流れる豊川に架かる吉田大橋は、架け替え、修繕の歴史だったそうな。
木造の橋の維持は自然との闘いでもあり300年間で大小の修理は32回、20年に1度の架け替えは幕府直轄だからこそ出来た偉業ともいえる。
幕府は軍事上の理由から大河に橋を架ける事を許さず、幕府直轄にした橋のみで、始点の日本橋と終点の三条大橋を除けば、吉田大橋と岡崎の矢矧橋(やはぎばし)、そして江州(滋賀県)の瀬田大橋だけだそうだ。
次の御油は赤坂と並び歓楽街で遊女が多く『御油や赤坂吉田がなくばなんのよしみで江戸通い』と言われたらしく、およそ100軒の旅籠がある大繁華街だったそうだ。
その為、御油の名物の客の争奪戦は激しかったらしい。
広重の御油宿の図、強引に客引きをする太った留女の絵はコミカルなタッチで好きな1枚である。
そして600メートルにもわたる御油の松並木。
土手も原型を留めているとの事、それは見事である。
抜けると赤坂宿も近く、消防法が云々との理由で惜しまれつつ今年の3月で370年余りの歴史に幕を下ろした旅籠『大橋屋』。
1649年創業で、現在の建物は正徳九年(1716年)に建てられたままの状態で残っている。
広重の絵のモデルと言われ、時代を錯覚する佇まいである。
ここに一泊したかった〜。
1号線と合流、分離を繰り返し、本宿には家康が竹千代と呼ばれていた幼少の頃の手習いの寺として有名な法蔵寺がある。
帰ってきて知ったのだが、この寺には、あの有名な新選組の近藤勇のお墓もあるそうで、何でここにと思うが処刑の後、同志がその首を盗み出し親交のあった和尚に預けた為、この寺に葬られているそうだ。
知らずに素通りしてしまった。残念でした。
翌日は『五万石でも岡崎さまはお城下まで船が着く』と謡われた家康の生誕地でもある岡崎城へ。
岡崎の二十七曲り、八丁味噌の味噌蔵を歩き少し疲れた頃にあったのが『予科練の碑』。
岡崎海軍航空隊があった場所である。
今は面影もないが70年前には、ここで多くの若者が猛訓練を受け、一部は遠い沖縄の海へと飛び立っていったという悲しい歴史がある場所で、知らず知らずのうちに頭を下げていた。
三日目、池鯉鮒宿(ちりゅう)を出発し、今回の旅で見事なものの中の一つで鳴海宿の有松絞りで有名な有松の街並み。
漆喰の塗籠(ぬりごめ)の連子窓(れんじまど)と虫籠窓(むしかごまど)等の立派な家々が大切に保存されている。
そしてもう一つは、桑名宿の手前、東海道の旅で最後の大河、木曽川そして長良川と揖斐川(いびがわ)だ。
この二つというか(長良川と揖斐川は橋の下で合流している為)この川は凄かった。
川幅といい、流れの速さそして水量といい今までで一番である。
トラックが通ると細い歩道橋が揺れ、自転車とすれ違いの時欄干に寄ると川の中に吸い込まれそうになった。
桑名の七里の渡し周辺の堀川へと続く風景、桶狭間の古戦場跡等、まだまだ色々と話は尽きないが、近鉄四日市駅前が終点の今回の旅の歩数、計191,331歩、距離にして約102キロ、疲れたが楽しい旅であった。
お土産は藤堂高虎が贔屓にした四日市名物の『なが餅』だ。久しぶりなどでとても美味しかった。
ちなみに右の写真は桑名の堀川です。
実を言うと明日から続きの四日市からの旅です。
又、次回続きを書きます。
森 上 (克)
今回は5月の続きで、菜めし田楽の『きく宗』を横目に34番目の宿場町、吉田宿からのスタートです。
吉田宿を流れる豊川に架かる吉田大橋は、架け替え、修繕の歴史だったそうな。
木造の橋の維持は自然との闘いでもあり300年間で大小の修理は32回、20年に1度の架け替えは幕府直轄だからこそ出来た偉業ともいえる。
幕府は軍事上の理由から大河に橋を架ける事を許さず、幕府直轄にした橋のみで、始点の日本橋と終点の三条大橋を除けば、吉田大橋と岡崎の矢矧橋(やはぎばし)、そして江州(滋賀県)の瀬田大橋だけだそうだ。
次の御油は赤坂と並び歓楽街で遊女が多く『御油や赤坂吉田がなくばなんのよしみで江戸通い』と言われたらしく、およそ100軒の旅籠がある大繁華街だったそうだ。
その為、御油の名物の客の争奪戦は激しかったらしい。
広重の御油宿の図、強引に客引きをする太った留女の絵はコミカルなタッチで好きな1枚である。
そして600メートルにもわたる御油の松並木。
土手も原型を留めているとの事、それは見事である。
抜けると赤坂宿も近く、消防法が云々との理由で惜しまれつつ今年の3月で370年余りの歴史に幕を下ろした旅籠『大橋屋』。
1649年創業で、現在の建物は正徳九年(1716年)に建てられたままの状態で残っている。
広重の絵のモデルと言われ、時代を錯覚する佇まいである。
ここに一泊したかった〜。
1号線と合流、分離を繰り返し、本宿には家康が竹千代と呼ばれていた幼少の頃の手習いの寺として有名な法蔵寺がある。
帰ってきて知ったのだが、この寺には、あの有名な新選組の近藤勇のお墓もあるそうで、何でここにと思うが処刑の後、同志がその首を盗み出し親交のあった和尚に預けた為、この寺に葬られているそうだ。
知らずに素通りしてしまった。残念でした。
翌日は『五万石でも岡崎さまはお城下まで船が着く』と謡われた家康の生誕地でもある岡崎城へ。
岡崎の二十七曲り、八丁味噌の味噌蔵を歩き少し疲れた頃にあったのが『予科練の碑』。
岡崎海軍航空隊があった場所である。
今は面影もないが70年前には、ここで多くの若者が猛訓練を受け、一部は遠い沖縄の海へと飛び立っていったという悲しい歴史がある場所で、知らず知らずのうちに頭を下げていた。
三日目、池鯉鮒宿(ちりゅう)を出発し、今回の旅で見事なものの中の一つで鳴海宿の有松絞りで有名な有松の街並み。
漆喰の塗籠(ぬりごめ)の連子窓(れんじまど)と虫籠窓(むしかごまど)等の立派な家々が大切に保存されている。
そしてもう一つは、桑名宿の手前、東海道の旅で最後の大河、木曽川そして長良川と揖斐川(いびがわ)だ。
この二つというか(長良川と揖斐川は橋の下で合流している為)この川は凄かった。
川幅といい、流れの速さそして水量といい今までで一番である。
トラックが通ると細い歩道橋が揺れ、自転車とすれ違いの時欄干に寄ると川の中に吸い込まれそうになった。
桑名の七里の渡し周辺の堀川へと続く風景、桶狭間の古戦場跡等、まだまだ色々と話は尽きないが、近鉄四日市駅前が終点の今回の旅の歩数、計191,331歩、距離にして約102キロ、疲れたが楽しい旅であった。
お土産は藤堂高虎が贔屓にした四日市名物の『なが餅』だ。久しぶりなどでとても美味しかった。
ちなみに右の写真は桑名の堀川です。
実を言うと明日から続きの四日市からの旅です。
又、次回続きを書きます。
森 上 (克)