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社員のつぶやき

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ワールドカップ2014

2014-07-09
こんにちは本社の小原です。

ワールドカップも終盤に入り今日ブラジル対ドイツの一戦が行われ1−7でドイツの圧勝で決勝まで進んで来ました。

私は前々回のブログでドイツの優勝を予想しましたが次の対戦国オランダかアルゼンチンでオランダが決勝まで上がってきたらまだ優勝経験のないオランダにも勝ってほしいと思っています。

どちらにせよ今回も優勝候補の国が上がってきました。日本はいつになるのでしょうか?

Do You Remenber?

2014-07-04
どもども、梅雨が明けるのは湿度30%切る9月と信じて20年余・本社営業秦野です。
・・・上京してからカレコレ随分経ちますが、北海道出身の私にはキツい季節なのは変わりませんね、梅雨って・・・。

少し前のハナシになりますが・・・、ほぼ毎週末行ってる千葉県旭市でチョットだけ良いニュースが。
3年前の東日本大震災で津波に襲われた同市の災害仮設住宅が無くなりました♪・・・ええ、報道等に拠ると、災害公営住宅(仮説じゃない♪)が出来たので残った被災者の皆様はそちらに引っ越して暮らすことになるそうです。

ナンですか、フツーに暮らしてるとドンドン風化していく"キオク"、今でも復旧に頑張っている人・支えている人が居るって云うのが実感出来て、チョッピリほこっとしたニュースでした。
・・・え、帰りは勿論現地でゴハン食べて、僅かながらの経済協力してきましたよ、喜んで♪

【終わりなき戦い】

2014-07-01
ただいま人生初のダイエットに挑戦中、本社営業の吉野です。
 
梅雨ですね・・
この時期私は、1年で1番気合を入れて戦う事があります。
 
それはカビのお方たちです。
今まで黙っていましたが、私は家のお風呂掃除担当です。
ついでに言うとトイレ掃除も担当です。
 
この時期のお風呂は大変です。ちょっと怠けますと角、裏側に黒カビ、ピンク色のカビ、あっという間に増えています。本当に大変です。やっている方たちは分かってくれると思います。
 
しかし、今回初めてある武器を使用してみました。
某メーカーから発売されている、煙でカビ予防です!浴槽内を煙で充満させ抗菌し、それが2カ月も持続するらしいのです。それを使用してから2週間ほど経過していますが、確かに、あのお方たちに出会わない。恥ずかしがってるのかな〜と思い、裏側も探してみるのですが拍子抜けするほどいらっしゃらない。恐るべしリーサルウエポンです。
 
熱い戦いを繰り広げている人は、是非一度使ってみてください。
 
それと、いつも誰かに戦ってもらっている貴方!
たまには自分で戦ってみてください。その戦士の苦労が分かると思いますし、感謝されること間違いなしです。

2014-06-30

久しぶりに、温泉旅行にいきました。

私は初めて行く伊香保温泉ですが、前に行かれた方の

話では、夜は屋台が並び大変賑いがあつたみたいですが

今は泊まり客は大勢いるのですが、屋台もなくさびしいかぎりです。夜の遊びが少し変わったのかもしれませんね

まあ、私もホテルの中でマージャンを楽しんでいましたから

6月12〜13日の旅行ですが、天候に恵まれ大変気持ちの

いい旅でした。

如何に普段の行いが、大事か痛感したしだいです。

18名の面々が笑顔が絶えまなく続き、楽しい2日間

でした。

平均年齢68歳の旅でした、気温も東京と比較すると

5度ほど、涼しくさわやかな新緑に気持ちの洗濯をして来ました。

お勧め榛名湖1周し榛名富士頂上えローブウエーで上り渋川を一望いいかも

長さん便り

行ってきましたよ。

2014-06-23
前回のブログ、まず手始めにで書いた江戸⇒京都三条までの旅の第1回目の箱根までの100キロに挑戦。
行って来ましたよ。
4月26日、七つ(AM4:00)に日本橋をリュックとiPadを片手にスタート。
今回の旅は、忠実に旧東海道を歩くという事を目標に江戸時代へのタイムスリップの旅である。
明治8年の擬宝珠の形をした物と、その先の大正11年の照明付の京橋の親柱の違いを見比べながら尾張町の交差点(現在の銀座4丁目)をすぎ、高輪の大木戸跡、そして北の吉原に対し南の品川と言われた遊興の宿場町、品川へ。
趣の在る家並が多い旧街道を抜け、徳川家基が田沼意次に鷹狩りの折に毒を盛られたと言われる東海寺や、鈴ヶ森刑場跡で手を合わせながら六郷を渡ると一日目の宿泊地、川崎である。
今回少し靴が合わず三番目の宿場町、神奈川宿までたどり着けず、午後2時半に川崎で宿を取る事に。
一日目の歩数、34、171歩。
翌、二日目は生麦事件の現場跡や、横浜開港当時のフランス公使館やアメリカ領事館跡の寺社を見ながら神奈川宿へ。
五十三次に描かれている神奈川宿は、かなりきつい坂道だが、途中振り返ってみると現在はマンションだらけの風景であるが、昔は右側一面に大海原が広がっていたのだろうと、江戸時代に想いを馳せて見る。
当時なら女、年寄りでも一日で、ここまで歩いたそうである。
私達といえば、程ヶ谷そしてその先の戸塚宿までたどり着けずに、手前の東戸塚までで一度目の日程終了。
一里塚などを写真に収めながら二日目の歩数35,164歩。
そして5月3日からは続きの東戸塚からスタート。
松並木を歩いて茅ヶ崎へ。三日目の歩数、39,500歩。
夜は、友人と三人で生シラス等の肴で一杯。
うまか〜。
四日目、当時を偲ばせる松並木や、大磯など海の見える道を歩きながら小田原まで45,216歩。
翌、五日目は午後から雨の為、湯元までの16,098歩。
そして最終日、いよいよ『箱根の山は天下の剣』と歌われた今回の旅の最大の難所の山越えだ。
大昔、雨の翌日などには足の脛まで道に沈んでしまう程であったそうな。
この状況を憂慮した幕府が、1680年公金1400両を費やして石畳を設置したようだ。
道は狭くスニーカーでも歩きずらいのに、当時の人々は草鞋履き。
そして駕籠かき等もいたなど信じられないが、鬱蒼とした林の中の道は今にも雲助が出てきそうである。
標高1,000メートル程の箱根峠が難所とされた理由のひとつが、勾配の厳しさである。
特に橿木坂(かしのきざか)という場所は、古くから『橿の木の坂をこゆればくるしくてどんぐりほどの涙こぼる』等の歌が残されているほど、当時の人々がいかに苦労してこの坂(現在は急な階段になっている)を超えていたかが窺える。
少し具体的な数字を挙げると、130メートル程で高低差が40メートル、建物に例えると10階のビルにもなる高さを130メートルのうちに上がるのだからどれほどの勾配があるかは想像に難しくないだろう。
峠の甘酒茶屋で一服しながら関所までの27,370歩。
今回の旅の歩数、合計197,519歩。
小田原までの45,216歩も大変だったが、山越えが一番の難所である事は間違いない。
毎朝、肉刺等の足の手入れから始まり、大笑いしながら歩く昼、そして夜の一杯に終わる今回の旅だったが、あらためて昔の人々の健脚ぶりには舌を巻く。
と同時に6日かけての100キロ強の旅、帰りは普通列車で2時間で帰り文明の力に唖然とする想いだった。
次回は、少し涼しくなる9月か、10月頃を考えている。

                森 上 (克)



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